過去記事アップ第1弾 ガメラと三重県民性

sakurasaku20052006-11-10

今日は丁度いい機会なので書置きしてあった記事をあげたい。ガメラ一筋研究されているガメラ医師さんのために書いた「ガメラ三重県民性」だ。ガメラの舞台になった三重県と映画「小さき勇者たち〜ガメラ〜」から三重県民性を考察した少々マニアックな記事だ。
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伊勢志摩国立公園内に位置する自然に恵まれた志摩市
その名の通り美しい白い砂と透明度の高い遠浅の海が広がった国府白浜海岸リアス式海岸で有名な英虞湾(あごわん)などで有名である。
ご存知の方も多いと思うが、田崎竜太監督の「小さき勇者たちガメラ」はこの志摩市大王町が舞台となっている。大王町は田崎監督の故郷だと聞く。
映画の中では美しい大王岬や、和具浦に架かる志摩大橋、(名付けてパールブリッジと呼ぶらしい)が舞台となっているので、志摩市民には思い入れの深い作品ではなかろうか。
今日の「おかしな県民性」はそのガメラから三重県民性を探ってみたい。
大方の人が「ガメラから県民性なんてわかるの」と思うことと思う。
しかし、この映画で主人公の少年、相沢透(富岡涼)の父(津田寛治)が営む「あいざわ食堂」と、その同級生の西尾麻衣(夏帆)の両親(寺島進奥貫薫)が営む「西尾真珠店」は隣接する実在の二つの店舗をモデルであったと聞く。
ならば、あの映画で喋っている言葉や人間性から三重県民性がわかるのではないだろうか。これが、私がこの原稿を書いている理由である。
勿論、ややこじつけの部分もある。
そこは少し、大目にみて頂き(そんなこと突っ込んだらダメラ←ま、また悪い病気が。。。)少々お付き合いください。
物語は今から33年前、志摩半島にギャオスの大群が襲撃し、てこずったガメラ(この物語のガメラの親)が市民を守るために自爆するところからはじめる。
ガメラだけに自爆するときは「ガメガンテ*1(←また悪い病気が)
そのときまだ小学生だった孝介(津田寛治)は父となり。。。。
まず驚くのが、33年前あれだけ街を破壊され、ガメラの犠牲で救われた市民があっけらかんと、しかものんびりしていることである。
この何事もなかったような「のどかさ」に三重県民の楽天性見た。
しかも、みな朴訥とした雰囲気のままだ。
普通、人間は悲惨な経験するとスレるものだが、この純朴なままの雰囲気がまた三重県らしくて良い。
物語に登場する人物は、孝介にしても、西尾真珠店の寺島進にしても、みな「まあ、こんなもんだろう」と日々過ごしている。
ここにも三重県民の「中くらい主義」が伺える。
何事もほどほどでよい。こうしたあまり欲のない「中くらい主義」を私は好きである。
もうひとつ面白いのが、新怪獣ジーダスが現れたとき、孝介が透に言った
ガメラにまかせておけばいいんだ。ガメラは皆を守るために戦ってくれるんだ。父さんのときもそうだった。」という台詞。
この言葉に、座ってお客様の来るのを待ち、通る人からお金をもらう伊勢商法のような三重県民の他力本願性を垣間見た気がした。
もっとも、人当たりがよく温和な父が最後は子供たちとともにガメラのために一緒に戦う姿は、もともと人当たりの良く温和な三重県民が、名古屋と大阪という強烈な個性のある県に囲まれ、自らも変わっていかないと生きていけない現在がしのばれる。
かなりマニアックな県民性の紹介となってしまった気もするが、「ガメラ三重県民性」いかがだっただろうか。
この記事は、ガメラの熱烈なファンであり、その映画にエキストラでも出演されたガメラ医師さんに捧げたい。

*1:メガンテドラクエに出てくる自爆して相手を倒す時の呪文