甲子園への遺言 伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯
お江戸の帰り、泣きながら読んだ本がある。ちょっと恥ずかしかった。
甲子園への遺言 伝説の打撃コーチ 高畠導宏の生涯 (講談社文庫)
- 作者: 門田隆将
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/12/12
- メディア: 文庫
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NHKが「フルスイング」というタイトルでドラマ化もされた。
一歩前に♪勇氣をありがとうさくちゃんの甲信越blogランキング(*^_^*
高畠さんの教え子といえば、古くはロッテの水上、高沢、落合、ヤクルトの池山や広沢、オリックスのイチローや田口、ソフトバンクの小久保、松中(あら皆さん知らない・・汗)
59歳にして教師を志し、福岡の筑紫台高校の教員となり、甲子園を目指していたが60歳でガンとなり他界された。
彼がそもそも教師を志したのは
勝負の場面では、いくら技術を極めても、心理的に圧迫されるとたちどころに借りてきた猫になってしまう。だからボクはプロ野球のコーチをする傍ら、大学で心理学を学んだ。そのうちに若い生徒を教えたくなって。・・・
「58歳でしたからね。教育実習というても中々受け入れてくれるところがありません。そこで大学の先輩に相談したら筑紫台高校の校長先生を紹介されて・・厳しい校長で結局一週間のうちに18時間もやらされました。でも、その間に学校の先生って凄いな。一生件名なんだなぁと思うことがたびたびあって、(中略)それに生徒がかわいかった」
そう語る言葉に涙した。手を伸ばせばすぐそこにある夢を病気によりあきらめざるをえなかったからだろうか。
それとも自分もかつて教師を志していたからだろうか。
頬から勝手に涙が流れ、溢れ出したら止まらなかった。
『コーチの仕事はおだてること。言葉は大事だよ。欠点は直そうと思っても直らない。だから長所を伸ばすんだ。高目を打つなといえば選手は高めに手を出してしまう。だから高めを打つなではなく、低目を打てなんだ』
彼のコーチングは素晴らしかった。
テレビ*1で残っている最後の授業で彼が生徒たちに残した言葉は
「氣」。
この字をあえて、〆ではなく、米と書く。だから僕も氣とかく。
「才能とは最後まであきらめないこと」P364引用
最後はこんな言葉を贈ろう。
絶対に、絶対に、絶対にあきらめるな オグ・マンティーノ