木村藤子さんの「気づき」の幸せ

「あなたのことが書かれているわ」彼女がそういって見せてくれた雑誌がある。そこにはこう書かれていた。
「私は見えてしまう女」・・・・・僕は見えなくてもいいおっさんである(汗)
そこで、少し前Kちゃんから貸してもらった木村藤子さんの本を思い出した。
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木村藤子さん


あまり表に出ないので知らない方も多いかもしれない。知る人ぞ知る「青森の神様」と呼ばれている見える女性である。僕は中居正広君の金スマで知った。
この本は彼女の半生を描いた本だが、日常生活でいろんなことに「気づく」ことの大切さを説いている。江原さんの本よりずっといい本だった(江原さんのファンの方ごめんなさい)
僕が凄いと思ったのは、スピリット(魂・精神・心)とは「気づくこと」と言い切るところだ。
人間は環境に慣れるもの。なれてくると最初は感謝していたことも段々と気づかなくなってしまう。彼女は自分がツイてない、不幸だなと思えることは、自分が原因となって起していることに気づくことが大切と語っている。
「健康に不安が生じたとき、初めて人は苦しむのです」彼女の言葉にちょっと胸が痛んだ。
本書の中で彼女は言葉の難しさ、大切さにも言及している。

自分は悪くない、はっきりそういうか、それとなく匂わせるかの違いはあっても、相談者の9割が自分を正当化する言葉を使っている。自分の本当の姿や言葉をベールにかぶせてしまう重大さに気づいていない。

そう、かっこをつけて本当の自分を隠すことは自身を不幸にしているということに気づかなければいけない。僕なんか反省の毎日である(汗)。
だけど、悪いには自分だけ。全てを自分のせいにしてしまう。これもいけない。それこそ悪いことは他人のせいでもあるってことに気づかなければいけない(笑)
実は僕は苦手なのだけれど、誰かに自分の悩みを相談することで、他人を通して自分のあるがままを見ることが出来る。
彼女は人間の持つ運命を「カルマ」と呼び、それは自分で気づき、乗り越えないと脱出できないといった。
霊能力のチカラはその気づきのヒントを与えているだけで、結局は自分がそのことに気づかないと変わらないと。
僕は霊能力のことはよくわからないけれど、彼女の言葉は共感がもてた。


霊能力。もともと不思議な力だ。この言葉に嫌悪感を抱く人も多いだろう。私は騙されないと思う人もいるかもしれない。
僕は太極拳をやっているから誰しも霊能力は持っていると思っている。霊能力というと大げさなので、それは人間の持つ自然の感性。
まっすぐな目で自分のあるがままを受け入れることが出来ると、いろんなことが気づき見えるようになってくる。
本書は霊能者の本としてではなく、人間「木村藤子さんの自叙伝」として、僕はお薦めしたい。