胡蝶の夢と自分へのメッセージ

sakurasaku20052006-10-18

夢を見た。
突然、目の前に扉が現れ、開けると真っ暗な底なし沼が広がっている。
慌てて、扉を閉めようとすると暗闇から突然手が出てきて、私を引っ張ろうとする。足を滑らせ闇の中に引き込まれようとされた瞬間、目が覚めた。
嫌な夢だ。
夢は生活する中でのストレスや健康状態などで 無意識の内に見てしまうものだそうで、見た者の将来に対する希望・願望を指すか、これから起き得る危機を知らせる信号だという。私に危機が迫っているのだろうか?
ところで荘子の故事「胡蝶の夢」を知っているだろうか。
中国の思想家が蝶の夢を見る物語である。

昔、荘周は夢で蝶になった。
美しい羽根を持ち、ひらりひらり舞う胡蝶そのものであった。
自然と楽しくなり、気持ちがのびのびしてとてもいい気持ち。
ふと目覚めると、なんと自分は荘周であった。
彼は「はて」思った。「果たして私は夢の中で蝶になったのだろうか、それとも蝶である私が今夢で荘周になっているのだろうか。わからない。」

この彼の発想が面白い。
普通なら「自分は、蝶になった夢を見た」と思うところを、「自分は、蝶が夢を見ているだけなのか!」と思っている(^_^)♪
彼はこれを「物化」と呼んでいるが、この「現実と夢」を「生と死」に置き換えると、人生は死後の世界もつながっていて、万物斉同の境地にあっては生も死も一つに包含されることも意味している。
つまり、
常識でいえば、荘周と胡蝶とは別物であるが、生々流転してやまない実在の世界においては、夢もまた現実であり、現実もまた夢であるといいたいらしい。
「今の人生そのものが、誰かの見ている一つの夢。」・・・
だから、なるようにしかならない。こうした肩に力が入らない発想、ときに大切である。

私は昔、いろんなことから全然眠れなくなったことがある。
丸1月ぐらい一睡もできなかっただろうか。そもそもあまり寝つきがいい方ではなかったし、仕事で徹夜しても全然平気だったので、眠りについて深く考えたこともなかったが、眠れないというのは本当に辛いものである。
人は一生懸命やっていても、ケガひとつ、病気ひとつ、周囲の人の評判ひとつで、「自分の存在は、すべて終わり、自分なんていなくてもいい存在になる」と思うときがある。
「自分に存在価値がない」
そう思ったとき、この重圧に耐えられる人はそうはいない。
そんなときほど、「人生そのものが誰かの見ている夢」、流れるままになすがまま。こうした発想が大事だと今の私は思っている。
ケセラセラ♪生きていれば、いいときもあれば悪いときもある。気張らず、あせらず、手を抜かない。それが自分へのメッセージ。

いろいろあるんだな。にんげんもの
いろいろあるんだよ。生きているんだもの 相田みつを