鹿児島県 おいどんは薩摩隼人でごわす 中編

sakurasaku20052006-06-14

ゆくさ、おさいじゃした。」(ようこそ、おいでくださいました)
前回は竹の子と鹿児島県のつながりを説明した。今日はその竹の子が出てくる「二十四孝」という落語を鹿児島弁バージョンで紹介したい。(写真は転用フリーデジタル楽しみ村提供 鹿児島県開聞岳
あいちゃ、しもった。もうあっぱった(もう既にイッパイイッパイだ)。」
いらんこつといわんときいとっと。(余計なことと言わずに聞きなさい)」
今日のさくちゃんは何位だ〜人気blogランキング
親方「ムカイ、王祥っちゅう孝行者がいた。その人は継母に仕えて大の孝行ものでな。寒中のことじゃっ。義母が鯉が食べたいと言ったが、貧乏暮らしで鯉を買えなか。そこで釣竿を持って池へ釣りにいったのだが、厚い氷がはっておっので、釣ることがしがならん。仕方がなかで、裸になって氷の上へ腹ばいになって寝たっと。」
弟子「そげな趣味があるもんか。体の温かみで氷を溶かそうとするなんて。」
親方「それがな。氷が溶けたっと。そこから鯉がとびだしたので、これを母へ差し上げて孝行をしたんだと。」
弟子「うふっ、笑わしてはぶんとじゃっよ。そげな馬鹿な話なか。」
親方「ないごて!(なんだって)」
弟子「だって、そうじゃなか。うまく鯉が飛び出すだけの穴があいたなんて……体の温かみで氷が溶けたのなら、おいの体は池の中へ落ちると。そいでは、まさに往生(王祥)じゃっ。」
親方「かんげんねこというでなか(バカなこというでない)、はんのような不幸者ならば、そいか命を落としたかもしれませんが、王祥は大の孝行者じゃっ。その孝行の威徳は天の感ずるとこいでひっちゃれるわけがなか。」
弟子「へーえ、ごわんどか。大したものじゃっ。他になか?」
親方「昔、孟宗という人があって、この方も大の親孝行じゃったど。寒中に、母が竹の子が食べたいとおっしゃった。」
弟子「何、唐国の母はないごて(どうして)そう食い意地がはっておっのじゃっか? 鯉が食べたい、竹の子が食べたい……とても面倒みきれなかじゃっ。」
親方「乱暴なことをいうじゃなか。何しろ寒中で雪が降っている時分に竹の子というのも、そげな無理な話じゃっ。孟宗は鍬をかついで竹やぶへいって、あちこちとさがしてみたが、いけんしてん見つからない。」
弟子「そいはそうでしょう。」
親方「孟宗は、これでは母に孝をつくすことが出来んと言って、天を仰いで、はらはらと落涙を流したと。」
弟子「へー、まぬけな野郎じゃっ。竹の子がなかで、天を仰いで泣くなんて見当違いじゃっよ。ははあ、見当違いのことを、「やぶちがい」っていうのは、これがはじまりじゃっか。」
親方「少し黙っと……ああ、竹の子がなくては、母に孝行しがならんと泣いておっと、足もとの雪がこんもり高くなったと。鍬ではらいのけると、手ごろの竹の子が、じだ(下)からぬーっとでてきたど。」
弟子「そいは見事な仕掛けじゃっね、」
親方「仕掛けではなかじゃっど。」
弟子「嘘じゃっと。どひこ親孝行といっても、天をにらんで涙をこぼしただけで筍がぴょこぴょこでてくるのなら、八百屋に買い出しになんかいかんでみんな竹やぶへいって、わーわー、泣かと。あてずっぽうに掘ってよく堀りあてたというものじゃっよ」
親方「それこそ天の感ずるとこいじゃっ」
(つづく)
あいがともさげもした(有難う御座いました)
ンダモシタン(あらいやだ)次回おかしな県民性鹿児島県ついに完結!