サラリーマンが危ない!下流社会とは 中篇

下流社会の到来
「どうせやっても無駄なのだったらいっそのことがんばらない」といった考えを持つ人が増えてきた。
お金や地位にこだわらないばかりか、働く意欲や学ぶ意欲、総じて人生への意欲が薄い人たちが社会の中で増えてきている。
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小泉政権がもたらした構造改革は、日本を長期の景気低迷から脱出させたように見えて、実は社会のゆがみ、格差社会という名の社会のゆがみを作り出している。
1億総中流時代と呼ばれ、会社に忠誠を誓い、真面目に会社に働いていれば会社が個人を守ってくれる終身雇用制が崩壊したことは、日本人の良さであった勤勉さをも崩壊させつつある。
ネットバブルというように汗水流して真面目に働く人たちより、世の中をうまく渡っている人たちの方がお金持ちになっていく。
一生懸命やった人が報われない社会はどこかが間違っていると思うが、現実にはそうしたことがたくさんある。
その上、政府は酒税の見直し、医療控除の削減、定率減税の廃止や配偶者控除の廃止など、弱いものや物言えぬサラリーマンにばかり増税し、彼らを下流層に引き落している。
果たして、こんな世の中でいいのだろうか。
私はalways三丁目の夕日に出てきた、何もないけど明日に向って希望だけはある、そんな社会が好きである。だが、現実にはそうした社会はない。
日本人はよく「がんばれ」という言葉を使う。
私はこの言葉があまり好きではない。
「一生懸命頑張れ」
小さい頃から受験戦争の中でこう言われ続けて育った人たちが、この言葉の矛盾に気付き、がんばることに疲れてしまっても不思議ではない。
確かにがんばらないことも時には必要だ。
だが、自分の人生をがんばらないけどあきらめないと思うことは大切だ。
人生あきらめてしまう最大の理由は、目標が見えないからだと私は思う。
しっかりとした目標や楽しみがあれば、本人が努力していると思わなくとも、自然がんばれてしまうものだ。
では、なぜ目標が見えないのか。
かくいう私も自分にとっての明確な目標が見えず、人生思い悩んでいる一人だが、悩んだ末に分かったことがひとつだけある。
目標が見えない最大の理由は社会が豊かになり、自分にとっての選択肢がたくさんできてしまったからだ
物質的には恵まれ、社会も多様化した中で、たくさんの選択肢ができた。
1億総中流の時代、みなが中流を目指し、たとえばサラリーマンになって一生その会社で働くというように生きたという点では、ある程度みな道が決まっていた。
しかし、今は自分の道は自分で切り開かなくてはいけない。
無事、就職できても何十年か後にはリストラの対象となるかもしれない。だから社員の方も会社のために一生そこで過ごそうという感覚は薄れてきた。
私は古い人間なのか、安定を好むのか、そうした終身雇用・年功序列型社会の方が好きである
年功序列
年長で功績のある人が上にたってどこが悪いのか!

ただ、今までのように年功の「功」の字が抜けて年序列型の会社になってしまえば、これは問題である。
個人一人一人のためでなく、会社のためチームためみんなでがんばる。
この考え方のどこが悪いのだろう。
だが、私のように考える人間は少数派で会社からも社会からも溢れ出ていく傾向にある。会社の経営者はいかにみなを同じ目標を持たせるかが使命だと私は思っている。
人間いろいろ道があるから迷うのだ。自分にはこれしかないと思ったら迷わない。
いろんな選択肢があって、自分には何が出来るかわからないから迷う。
迷った挙句やりたいことが見つからないから、どうせやっても無駄だからとあきらめて何もしなくなる。
このままではサラリーマンだけでなく、日本社会全体が危ない。(つづく)