爽やかなりんごちゃん 青森県

オリンピックが終わった。
日本のメダルは1つだけで残念だったが、その中でも注目を集めたのはカーリングの青森チームではないだろうか。
小野寺歩林弓枝本橋麻里目黒萌絵寺田桜子
この5人がイタリアを破ったときは、私はルールもわからないまま、一緒になって歓声をあげていた。私は国内予選では長野チームを応援していたのに、日の丸を背負った瞬間、青森チームのファンになってしまった非県民である。
このカーリング、イエス(yes)とかウォーという言葉を耳にする。
私にはテスとウーにしか聞こえず何の意味かさっぱりわからなかったが、これはスウィーピングをしろ(イエス)とかやめろ(ウォー)ということを意味するそうだ。スウィーピングとは掃くこと、すなわちすべっているストーンの前をブラシで掃くことを意味するそうである。
今日はその青森チームの青森県の県民性について紹介したい。
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私が抱く青森女性のイメージは映画always三丁目の夕日の星野六子ちゃんのように明るく、元気だけれどちょっぴり恥ずかしがり屋な感じ。まさに可愛らしいりんごちゃんといったイメージである。
青森県といえば、りんごの他にもねぷた祭り八戸三社大祭津軽三味線津軽民謡、弘前城八甲田山岩木山十和田湖白神山地、八戸の桜、三内丸山遺跡に亀ガ岡遺跡、恐山のイタコ、新郷村のキリストの墓、六ヶ所村の核燃料施設、青函トンネルみちのく銀行
食べ物ではにんにく、リンゴジュース、ねぶた漬け、南部煎餅大間マグロ、青森のホタテ、じゃっぱ汁、味噌貝焼などが有名である。
甲子園で活躍した青森山田高校のエース山田太郎君いや柳田将利君も私の記憶の中には鮮明に残っている。
青森出身の有名人には作家太宰治石坂洋次郎葛西善蔵高木彬光寺山修司三浦哲郎室井佑月、版画家の棟方志功、評論家羽仁もと子松岡洋子舞踊家江口隆哉。
漫画家むつ俊之、歌手の淡谷のり子吉幾三泉谷しげる矢野顕子小比類巻かほる北山陽一ゴスペラーズ)、俳優松山ケンイチ吹越満、タレントの細川ふみえ新山千春田中義剛
また、スポーツ界ではプロスキーヤー三浦雄一郎レスリングの伊調千春伊調馨兄弟、大相撲の人気者高見盛をはじめ若の里追風海海鵬岩木山安美錦、十文字、元小結舞の海など多数の力士を輩出している。
ウルトラマンやバルタン星人の生みの親成田亨さんも青森で育った人である(生まれは兵庫県)し、松坂大輔の出生地が東津軽郡外ヶ浜町というのも意外に知られていない事実である。
太宰治の「津軽」や石坂洋次郎の「青い山脈」新田二郎の「八甲田山死の彷徨」松本清張の「白い闇」などの青森は小説の舞台として有名だし、宮沢賢治の詩「青森晩歌」や美空ひばりの「りんご追分」や石川さゆりの「津軽海峡冬景色」など詩や曲の世界でも有名である。
青森県の県民性を調べるとどの本でも津軽弘前市青森市)と南部(三沢市八戸市)の文化の違いや仲が悪いことが書かれている。青森県庁では知事がどちらの出身かによって官吏の地位が変わるとまでいわれているそうだ。
この原因は豊臣秀吉の時代まで遡る。
16世紀に南部藩の家臣であった大浦為信という人が豊臣秀吉の助けを借りて津軽藩を誕生させたことに南部の人は忘恩の徒といって津軽のことを良く思っていないそうだ。江戸時代は野辺地あたりを境界にして東は盛岡南部藩、西は津軽藩と二つの藩にわかれたが、この気持ちは消えず、末期には相馬太作事件として爆発した。
津軽衆と南部衆の対立はもっとも今はさほどではないそうだが、言葉の違いや気質の違いは残ったままだという。
一般的に津軽人は陽気で社交的で目立ちたがり屋、辛抱強いけれど強情な面を持ち、南部人は無口でおっとりしていて引っ込み事案な人が多いという。
会議の席などでも津軽人は積極的に発言するが、南部人は黙ったまま無口な人が多いというが本当だろうか。
この気質の違いは祭りや民謡にもあらわれ、津軽ねぷた(青森ではねぶたという)は火祭りや「ラッセラー」とはやしながら山車についてまわるハネトなどが観光客の目を引くのに対し、南部の八戸三社大祭では優雅な笛や太鼓に合わせて穏やかにそして華麗に山車を引いて歩くなどその違いは明確である。
(つづく)