私の持ちたい心

sakurasaku20052006-02-20

出会いそして感動。
人間を動かし人間を変えていくのは難しい理論や理屈じゃないんだなあ。
感動が人間を動かし、出会いが人間をかえていくんだなあ。

相田みつを美術館に入ると一番最初のパネルにそう書かれている。
2日間東京に行って、東京の空気を吸って、東京の風にあたれば、少しは日常の平凡な生活の中からも私の心に感動という二文字の風が吹くのではないかと思っていたが、相変わらず月曜日はかったるいし、仕事も思うように進まない。時折、虚しさという風も吹いてくる。
アノネ、人間にとって一番大事なものは何か?
そこを原点として考えてゆけば、あとは自然にわかっていくよ。

アノネ、わからないからここに来たんだよ。でもわからない。
別にギャグではない。
それなのに相田先生の作品を見た長岡の高校生の感想文に
「相田さんの作品を見て何か生きる元気が出た。字は下手だけど何か感じるものがある。これからの人生が楽しみになってきた。」
なんて書かれているのを読むとあせるのである。いい年をした大の大人がである。
もう彼らの感性には勝てないのか_| ̄|○
高校生と張り合っても仕方ないが、そのまっすぐで前向きな感性は、時折、矢のような光を放ち、私の胸を突き破り、まぶしいぐらいに輝いている。
本多信一さんはその著「幸福に生きた内気なネコの話」の中で人間は大人になると年を取らないといっている。
肉体的には年を取るが、精神的にはいくつになっても年を取らないと。
一生燃焼、一生感動、一生不悟
何かに感動する心を持っていれば、いつまでも心は柔らかく人間は年を取らないと相田先生もいっている。
確かに学生時代の旧友にあったりするとそのような気になる。
年末に十数年ぶりに大学の同級生にあったが、身なりは皆少し老けたが、気持ちは学生時代のまま、あの頃が蘇ったように懐かしくいい香りがした。
70、80とおじいちゃん、おばあちゃんでも学生時代の友達と一緒にいるときは、心の中は純朴な青年・乙女のままである気がする。
しかし、いつまでも学生時代のノスタルジーに浸ってはいられない。
あの頃は良かったと思ってみても、あの頃には戻れないし、現実に生活していかなければならない。サラリーマンは自由を束縛されるかわりに会社から給料を頂いているようなものだ。
幸い私は病気になったおかげで、平凡な生活を送れることが一等幸せであることを教えてもらった。
変わり映えのしない日常生活の中で、身の回りの小さなことにも感動できる心、そうした感性を人に伝えられる心を私も持ちたい。
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