下流社会とフィリップ・マーロウの言葉

大いなる眠り (創元推理文庫 131-1)文を書くときなるべくドラマチックな出来事より平凡な人生に注目し、平凡さの中に人生を知らしめるようにしている。
アメリカのハードボイルド作家レイモンド・チャンドラーの言葉である。彼はハードボイルド小説といいながらとても綺麗な文章を書く。彼はその著「大いなる眠り」の中でこんなこともいっている。
平凡や退屈にこそ人生の真実がある。
平凡な生活をしつつ1日にほんの少しの変化をつけることで生を新鮮にする。

ほんの少しの変化。別に今日弁当を忘れた言い訳をしているのではない。
でも1日の生活の中でほんの少しの変化をつけることは、人生を楽しくする。
近くに飛んできたハクセキレイを見たり、葉が1枚もなくなったイチョウの木をじっとみたりしているだけでもいろんな発想が浮かび楽しくなることがある。
特に空はいい。
雲の動きをじっと眺めていると世界が広がってくる気がする。
風の音を聞きながら地面に大の字になって寝転んで見る空は私に至高の幸せを運んでくれる。でも現実は空ばかり見てはいられない。
平凡や退屈にこそ人生の真実がある。
マーケティングアナリスト三浦展さんの下流社会*1が話題となり、若年層の人生への意欲の低下が問題視されているが、私はそういう考え方の人がいてもいいと思っている。
彼らは人を傷つけたり、攻撃したりしているわけではない。
ほどほどが一番、それ以上は望まないという価値観を持っているだけである。
社会で働く上で、生きていく上でそれが貫けたらある意味すごい。
しかし、現実はかような者に対し企業や社会は厳しい。
タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく価値がない。
チャンドラーの小説の中のフィリップ・マーロウの言葉が私に語りかけてくる。
ちょっと憂鬱な月曜日。また、平凡な1週間がはじまる。

*1:下流社会とは単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低い」人々のことを指し、「いわゆる団塊ジュニア世代と呼ばれる現在の30代前半を中心とする若い世代に」多く見られる傾向