はじめの一歩


今日、NLPの最終講だった。
パチパチパチ♪八王子から、6か月間にわたって長野に通ってくれた先生に、女性陣から花束が贈られた。
何かが終わる時、何かがはじまる。
ここから先は読まなくていいよ。(写真は講座会場。眼下には公園がある)
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講座で学ぶことも多かったが、僕はここで出逢ったすべての人から多くのを学んだ。通信講座で文章の型を学んでいる。


今回のテーマは「ゆとり教育


子供のいない僕にはちょっとハードルが高いが、サラリーマンの立場から自分の想いを綴ってみた。時間のある方は、どう感じたか、教えてくれると嬉しい。

課題「ゆとり教育の是非」 校正原稿 600字以内
「今時の運動会では、親子別々にご飯を食べるんだって」妻からそう聞いて驚いた。親のいない子供に配慮した教育なのだそうだ。僕らの頃は親子一緒に食べる弁当が一番の楽しみだった。
 ゆとり教育の中で「他人と比べない」という教育方針が生まれた。勿論、他人と比較することはよくない。たが、本当に必要なのは他人と比べないことではなく、他人との違いを知ることではないか。
 私は、一人一人違っていいことを子供たちに学んで欲しい。
たとえば、ゆとり教育で「競争しない」「強制しない」「ゆとり」と学んでも、社会にでれば全く逆のことをする。「競合他社には負けるな」「なんとしてもやれ」「ゆとりなどいらない」・・。
 サラリーマンの現実は、ゆとり教育とは程遠い。そもそも、一人一人持っている環境は違う。だから、社会に出て大事なのは、他人と同じになることではなく、与えられたものの中で、どうやって、自分が生きていくかということだ。そのためには、自分と他人はそもそも違うことを知り、調和する力が必要と私は考える。
 生きる力をつけようとするゆとり教育の理念自体は間違っていない。ただ、そのやり方を見直す時期にはきている。
 運動会で親子一緒に食べるご飯の時間。そんな中にも、違いを受け入れるはじめの一歩があると私は思う。