その痛みのわけは

sakurasaku20052007-09-20

葬儀のあった日、あるバーに行った。京都で買った生酒をマスターに渡すためだ。
70歳を過ぎた老紳士が一人で経営するこの店はとても居心地がいい。
指輪物語ホビット族に出てきそうなマスターと(・・マスターごめん)ぼそぼそっと交わす男同士の会話は、多くは語らないがとても和む。
ここは数十種類のカクテルやスコッチを飲ませてくれる。僕は身体のためにノンアルコールを頂くことが多いが、生グレープを丸ごと絞ったここのソルティドックはめちゃめちゃおいしい。
残念ながらシシリアンキスは置いてなかった。(写真提供フォトライブラリー様)
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マスターに小説の話をして一度作ってくれと頼んだら
「さくさん、僕はそんな感覚だけのお酒は作れないよと」断られた(笑)
朴訥と話しながらも、職人気質を感じる素敵な人だ。腰を軽く曲げシェイカーを振る姿はとても7○歳には見えない。この店は30年以上続けられているそうだ。
どうでもいいことだが、マスターの作る豚の角煮は恐ろしくうまい。2,3日煮込んで寝かすそうだが、大根の芯まで豚の肉汁が染み込んで思わず頬が落ちそうだ。

ここでたまに信州大学(しんだい)の学生バイトさんと話すこともある。不思議なものだ。若い人と話すと自分まで若返ったよう気分になれる。そういう意味では大学講師の親友のK君は羨ましい(笑)



今日病院で執着心のついて書かれた本を読んだ。
僕もたまに過去への執着にとらわれることがある。昔を思い出す出来事に出くわすと・・・あの頃の自分にめぐり合う。
そんな時ちょっとだけ思う。「あの頃(昔)はよかったなぁ」
そういうとき、僕は今を生きていない。・・・のだろう。たぶん
ノスタルジックな気持ちも時に大切だけど、過去の感傷に浸っていてもしかたない。他人と過去は変えられないから・・・そう書いて僕は自分の気持ちをリセットした。(読んでる方つき合わせてごめん


執着心
過去への執着を持ち続けると、それは誰かへの怒り、不満となって、心の中に溜まっていくとあった。「あのとき、こうすればよかった」そんな自責の念がいつしか周りに飛び火し、怒りに変わるのかもしれない。
こういう気持ちを持っていると素直に「ありがとう」とか「ごめんなさい」って心から言えなくなってしまう。
・・・僕はある人にずっとそうメッセージを送り続けている。気づいてくれるだろうか?

自分と向き合うことはちょっと怖い。だけど、思い切って飛び込むとその瞬間は痛みを伴うが怖くはなくなる。大丈夫って気持ちが芽生えてくる。そんなことを考えていたら、こんな言葉にめぐり合った。

執着を手放すとき、過去の痛みを感じます。執着を手放せないのは、この心の痛みを感じるのが怖いからです。でも、痛みは感じると消えていきます。そうすれば、そこに心の余裕ができて、新しい幸せの芽がすっと入ってくるのです。

追伸:今日からお江戸へ出張です。またちょっとだけ更新とまりますが、皆様どうぞ♪ごゆるりと♪