あの頃

sakurasaku20052007-07-18

「僕は美容師なので、マッサージとか髪の毛を洗ってあげたいですね。」
各地から続々と支援ボランティアが集まっている。その中の青年の言葉にちょっと胸を刺された。
地震から一夜明け、被害は更に拡大している。まだ、ライフラインが寸断され、避難所生活で眠れぬ夜を過ごしている人が12000人近くいると聞く。
避難生活はさぞかし大変だろう。
「はぁ〜、いい湯だ」柊姫が言っていたが、ご飯が一番だが、次に嬉しいのは暖かいお風呂に入れることだと思う。(写真は道で出会ったラブラドールレトリバー。僕は動物の顔を見ると心癒される。)
凹んだときは一歩前へ♪」甲信越ブログランキング


13年前、当時労働組合の幹部をやっていた僕のところにも救援活動の依頼が来た。
あの阪神・淡路大震災である。
まだ血気盛んだった僕は、会社を休んで神戸に駆けつけた。
そこには想像を絶する世界が広がっていた。そこで、目にしたものをあまり言うのはやめておこう。
だからかな。映画「ありがとう」を見たとき思いは複雑だった。http://d.hatena.ne.jp/sakurasaku2005/20070117/p2


バラック小屋で雑魚寝生活の僕らにはお風呂がなかった。それまで風呂なんてなくても平気と思っていたが、あの時初めて「お風呂って有難い」と思った。ドラム缶に沸かしたお湯と水をいれて、みんなで入ったお風呂は今でも懐かしい。
ボランティア活動といっても、単なるサラリーマンの僕に、とりわけやれることはなく、ある棟梁について大工の真似事をした。
手先が不器用な僕の作った筋交いはうまく×にならないし、梁と柱の耐震補強のために半日かかって作った三角の木片はいつの間にか台形になっていた(汗)
だけど、神戸の人たちは優しい人ばかりでそれでも「ありがとう♪」と明るい笑顔で言ってくれた。あの時は、ただ、ただ嬉しかった。
「ありがとう」僕らはその言葉にチカラを感じた。災害は忘れた頃にやってくる。あのとき、災害のとき役に立つ技能を身につけようと思った自分は・・13年たっても変わらなかった。
未だブログぐらいしか書けない僕は何もできないけれど
この度の地震で被害を受けられた皆様に、一日も早い復旧をお祈りしたい。

世界で一番綺麗な言葉、それはきっと心のこもったありがとう