幸福の扉

sakurasaku20052006-07-13

父の入院している病院まで往復3時間。
昨日は会社を休んで様子見方々病院まで見舞いに行った。
ずばり、驚いた。
昨日、あれだけ様々な方から心配を頂いたが、痛みが治まったとたん父は元気になっていた。
いや、まだ歩くのもやっとという感じで本来の元気とは程遠いのだが、頭だけは能天気になっていたのだ。
まさか病室でこのブログを読んでいるとは思えないので書いてしまうが、父はよくいえば行動力があり感覚は非常に若いのだが、悪く言えばお調子者のところがある。
「ここは非常に快調、旅館に行っている気分。俺は、不死身かもしれない。」
本人の弁である。わが親ながら恥ずかしい。心配してくれた皆さんごめんなさい(汗)
まだ入院して3日目というのに、入院生活を楽しんでいる。
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(写真は北の大地の贈り物様提供フリー自然写真 スズラン 鈴蘭の花言葉は幸福)
しかし、よく考えるとその幸せな性格は羨ましい。
とてもつい先日まで、だだっ子のように病院に行くのは嫌だと言っていた人の言葉とは思えない。既に病院での生活を楽しんでいる。どんな環境でも、楽しみを見出せるのが父の良さであり才能である。
糸井重里さんがリリー・フランキーさんとの対談で
「年とると人生つまんないんじゃないかって恐怖があるんですよね。だけどおもしろいんですよ、実は。」と言っていたのを思い出した。
父の場合は、歳をとればとるほど人生を楽しんでいるように見える。
私などまだ自分が父の歳になったら、自分がどうなるかということは想像つかないのだが、歳をとっても人生を楽しめるというのはいい。
だが、それだけで病気が治るわけではない。
痛みは一時的に消えただけである。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ではないが、父はまだ手術したくなさそうだった。
往生際が悪い(笑)
手術の成功確立は80%とのこと。これを高いと見るのか低いと見るのかは素人の私にはわからないが、父にとって、新しい可能性が開かれることに変わりはない。
「見えない」「聞こえない」「話せない」の三重の障害をもちながら福祉活動に献身したヘレン・ケラー

「幸福の扉の一つが閉じる時は、別の一つが開きます。
けれど、私たちは閉じた方ばかり眺めていて
こちらに向かって開かれているもう一つの扉に
気付かないことが多いのです。」

といった。
辛いことや不安なことがあると、ついついそのことばかり考えがちだ。
私も不安がないわけではない。
だが、ちょっと気持ちを別な方向に切り替えて、新しい扉をあけてみれば、そこには「幸福の扉」があるのかもしれない。
父も勇気ある選択をとって欲しいと思う。