当たり前のことが出来る幸せ

sakurasaku20052006-07-12

ノスタルジアは突然やってくる。
父が一昨日緊急入院した。
下腹部が痛くてここ4、5日は食事も満足に出来ていなかった。
日曜日に私が医者に連れて行くと言ったのに、どうしても嫌だと言っていたが、ついに痛さには耐え切れず母の妹(叔母)に強制連行されていった。

母は足が悪く、介護が必要なため運転は出来ない。息子は仕事していた。
忙しいときはいろいろと重なるものだ。
思えば、小さい頃から父が入院した姿を見た記憶がない。
とても健康的な人で、風邪を引いたといって1日中死人のように寝ていたことはあったが、このようなことははじめてだ。
1年以内に手術しなければならないそうだ。
両親が元気でいることが、当たり前のような気がしていたが、私のような年になると、これは当たり前ではない。親はもうこの世にいないという人も珍しくない。親友のT君もそうだ。
いなくなって初めて知るありがたみ。
それぞれが、心のどこかにノスタルジアを抱えている。
私は自分の病気の時、両親にかなり心配と迷惑をかけてしまったため、健在なうちに親孝行したいと気持ちは強い。
「日々繰り返される平凡な日常を送れることが、本当は一等幸せなのだ」ということを私は自分が病気になったことで学んだ。
「仕事に行ける」とか「両親が生きている」とか、普通の人は「当たり前」だと思っていることが「当たり前」に出来ることはとても幸せなことである。
リリー・フランキーさんの「東京タワー」の中にこんなフレーズがある。

誰にでも起きている「当たり前」。いらないと思っている人にも届けられる「当たり前が」が自分には叶わないことがある。
難しいことじゃないはずだ。叶わないことじゃなかったはずだ。
世の中の日常で繰り返される平凡な現象が自分には奇蹟に映る。
平凡になりうるための大人の夢。かつて当たり前だったことが当たり前でなくなったとき。平凡につまずいたとき
人は手を合わせて祈るのだろう。


不思議なことにこんなときでも落語や駄洒落は浮かぶ。
人間って不思議なものだ。でも、くよくよしていてもはじまらない。
「なんとかなるさ」これが父の口癖だった。
私のその気持ちで、父の回復を、手を合わせて祈りたい。
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