小さな自分

sakurasaku20052006-03-07

手を手術してから1週間たった。
「お、どうした、その手、また悪いことしたな。」
今更になって隣の課長のこの言葉は、私の会社での地位を物語っている(T_T)
今日は小さな自分について話をしたい。
私は今、桂木ユミさんの「いじわるな神様がくれたおくりもの」という本を読んでいる。といってもまだ読み終えたわけではない。
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桂木ユミさんとは私がよく拝見させてもらっている映画関連のブログ「日々の日記とコラムみたいなもの」の作者である。
この「いじわるな神様がくれたおくりもの」という本は彼女の彼であった典弘さんの生き様を綴った彼女の処女作である。彼はもうこの世にいない。
その本の中に
「自分が生きた証を残したい。自分はこの世に子供を残すことはできない。せめて子供の変わりに歌を残したい」という言葉がある。
この言葉は私の胸にずしんと響いた。
私も子供がいない。だから子供以外の何らかの形で自分の生きた証を残したいと思っている。それも、出来れば自分のためだけでなく、誰か人のためになるようなものを。
まめぞうの作者すいしょうさんの言葉を借りて言い換えれば、自分の幸せを何か社会の中で貢献することで実現したいとなる。
私も彼と同じ病気にかかったことがある。正直、病気になるまでは、そんなこと考えずに生活していた。
1日仕事して、寝て起きれば朝が来る。そして隣に妻がいる。
それはあたり前のことだと思っていた。その当たり前のことに日々感謝しようという気持ちなど持っていなかった。
でも、世の中にはそんな平凡な普通の1日を送れない人がたくさんいる。いま、ここを一生懸命生きなければ、明日が保証されない人もいるのである。
1年半前、私は彼と同じような病気にかかり、生きる希望を失っていた。
朦朧とした中で仕事に行く途中、交通事故を起こしてしまったのもこの時期である。
信号のないT字路目の交差点で私の車は大型トレーラーとぶつかった。その瞬間のことはあまり覚えていないが、目の前が真っ暗になり、人々の声が遠くで聞こえたような気もする。
その先は救急車の中にいた。
幸い体の方は軽症で済んだが、とても大事にしていた車は二度と私の元には戻ってこなかった。
悲しいというより虚しかった。
当事、仕事量だけはどんどん増えていき、慣れない肉体労働と重なって、段々と眠れなくなり、体重は15kgも減り、やせ衰えていった。
ただ漠然と目の前の仕事をしている自分に違和感はなかった。自分の体がどうなろうと仕事がすべてだと思っていたのもこの時期である。
妻はそんな私を見ているのはとても辛かったと思う。彼女は実家が遠く離れているため、そんなことを相談できる人もいなかった。辛さに耐え切れなくなり、実家に帰ってしまったこともある。でも結局、彼女は私から逃げなかった。
あれから1年半。私は神様から見放されなかった。まだ生きろといってくれている。
彼のように歌を作れるわけでもなく、桂木さんのように本を書けるわけでもない。
とても小さく、小心者な自分だけれど、この世に生を受けたからは何か自分にもできることはないかと思っている。
何か特別な才能があるわけではない。
私のように平凡な日常に退屈しながらも、普通に過ごしている人たちに共感できる文章を綴っていくことが今の私の目標である。
書くことが私のアイデンティティ。桂木さんのこの言葉に私は強く惹かれる。

みんなほんもの
トマトがねえ トマトのままでいれば ほんものなんだよ
トマトをメロンにみせようとするから にせものになるんだよ
みんなそれぞれ ほんものなのに
骨をおって にせものになりたがる
相田みつを

自分のありのままを今後も綴っていきたい。