待ち組と世界にひとつだけの花

みなさんは待ち組って言葉を知っているだろうか。
勝ち組でも負け組でもない、待ち組
待ち組とはフリーターやニートなど挑戦しないで様子をうかがう人たちを意味する造語だそうで、小泉純一郎内閣総理大臣のメルマガにものっている。
猪口邦子少子化担当大臣が1月31日の記者会見で
『負け組』は立派だ。その人たちは戦ったのだから。本当に反省すべきは『待ち組
と答弁して一躍話題になった。
でも、そもそも何をものさしに勝ち組、負け組というのだろうか。
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その人の地位か、名誉か、それとも金か。
確かにお金や地位はあった方がいい。
でもそれだけで人は満足するだろか。
そもそもひとりひとりの人生は違っていて、一人一人の生き方がある。
その生きる道に勝ち負けはない。自分の心が満ちていればそれだけでいい。
アメリカ在住cosmopoliteさんのブログに満ち組という言葉があり、うまく表現されていると感心したが、この満ち組になることが一番重要なのではないだろうか。
私は昔から人と争うことは苦手だと自分で思っていた。
入社当初は全く出世願望などなかった。
ただ自分の取柄は一生懸命なところと思っていたので、何をするにも一生懸命働いた。副店長として働いていた1昨年はほとんど休みなく、1日に15時間も働いたのだから自分でもすごいと思う。
しかし、結果、体と心を壊して半年近く休職。あのときはクビを覚悟した。
結局、今は定時で帰るすっかり平社員、人生バランスよくできている。
お金もないし、一般的には私のような人間は負け組というのだろう。
でも私は今の暮らしの方が満足している。
このご時世いつリストラされるかわからないが、少なくとも今は人間らしい暮らしができている。その方が、お金があるより一等幸せだ。
話は戻るが私はフリーターやニートの人たちが悪い人とは思っていない。
待ち組という言葉だけが先行して何もしない人たちととらわれがちだが、彼らは彼らなりに何かを探し求めているのだと思っている。
私も休職時代はニートのようなものだった。
人間誰しもこの世に生まれたからには自分の生きたあかしを残したいと思っている。
ただそれが何なのか見つからないから迷うのだと思う。
ゲーテファウストの中で「人間は努力する限り迷うものだ」といっている。生きている限り迷ったり悩んだりするのは当たり前。だから彼らは彼らなりに自分の道を探しているのだと思う。
ただ、ひとついえることは自分のことは自分でしか決められないということである。
だれかに人生を決めてもらうことは楽に思うかもしれないが、それは決して自分の人生ではないということである。
だから自分のことをあれこれ言い訳する傍観者にはなってはいけない。
たとえ満たされていなくとも、今ある自分は世界にひとつしかない花なのだから。
うん
そうだよ
そうだよ
そうだとも
くちだけうごかしている
傍観者に なにがわかる
    相田みつを