さくちゃんからのお願い 後編
文章塾提出原稿。昨日の続き。だから時間のある人だけこの先読んでね
(今の気持ちを絵本にあらわすと)
- 作者: ジュリエットダラス=コンテ,アリソンバートレット,Juliet Dallas‐Cont´e,Alison Bartlett,たなかあきこ
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2001/11/01
- メディア: 大型本
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A案 テーマ ゆとり教育と学力低下(800字以内4部構成論文風)
- 総合学習の時間は必要か-
ゆとり教育と学力低下が問題になっている。その対策として、来年度から新学習指導要領が本格的に実施され、総合学習の時間が大幅に短縮される。私はこの改正には賛成だ。そもそも総合学習は必要なのだろうか。
総合学習とは、2002年に改正された指導要領にある学校ごとに創意工夫し、教える内容を決める授業をいう。その背景には、多少、知識の学力は落ちても、自ら考える力、自らが課題を見つけ、解決する力を、体験学習を通じて身につけさせようとした思いがある。確かに、総合学習は、断片的な知識の習得にならず、総合的に学べる点はよい。しかし、それが、すなわち自ら考える力をつけることになるのだろうか。私はそれより基礎知識を繰り返し学ぶ時間が必要と考えている。
なぜ私がそう主張するかというと、ひとつは、総合的学習は、目的を教えることが難しいからだ。目的もなく、自由な時間を持たせると、子供は遊んでしまう。たとえば、2003年総務省が行った「社会生活時間の調査」によると、中学生が家でテレビを見る時間は、平均値で159分。10年前より30分も増えた。それに対し勉強する時間はわずか29分。10年前より15分減った。この結果をみても、ゆとりの時間を与えることが、考える時間、学習意欲の向上にはなっていない。
もうひとつは、考える力を養うためには、基礎が大事と考えるからだ。たとえば、私が今取り組んでいる文章課題も、基本である型を覚え、繰り返し書くことによって書く力をつけている。基礎の繰り返しは一見、苦労に感じるが、この苦労を乗り越えることによってはじめて学ぶことは楽しいと気づくものだ。
以上のことから、総合学習より基礎知識の習得に力を注ぐべきと私は考える。学ぶことは、本来、楽しいことだ。その楽しさを是非、子供たちに感じて欲しい。
B案 ゆとり教育の弊害(エッセイ風校正中)
- なぜやりたいことがわからない大人が増えたのか-
「くうねるあそぶ」
あなたは、昔流行ったこのCMを覚えているだろうか。一年間、好きなことを自由にやっていいといわれたら、以前の私は食べて、寝て、遊びたいと答えていた。
私がなぜ、こんな話をしたのかというと、いま、自分のやりたいことがわからない大人が増えているからだ。これはゆとり教育のもたらした弊害のひとつではないかと私は思っている。
ゆとり教育は、詰め込み教育の反省から、自ら考える力、自ら課題を見つけ、解決する力をつけさせようとして生まれた。確かに、ゆとり教育は、ゆとりの時間を持てたという意味では一定の成果があった。しかし、それが自ら考え、解決する力に結び付かなかったと私は思っている。
その理由は、第一に、考える力は基礎を繰り返し学習することでつくと考えるからだ。たとえば、私が今取り組んでいる文章課題も、基本の型を覚え、繰り返し書くことによって書く力をつけている。基礎の繰り返しは、本人にとっては、つらいことだが、そのつらさを乗り越えてこそ、自分で考える力がつくものと私は考える。
第二に、時間にゆとりがあり、選択肢が増えれば増えるほど、子供が何をしていいか迷ってしまうからだ。目的もなく、自由時間を持たせると、子供は遊んでしまう。たとえば、2003年総務省が行った「社会生活時間の調査」によると、中学生が家でテレビを見る時間は、平均値で159分。10年前より30分も増えている。テレビを見ることが、考える力を落としているとは言わないが、ゆとりの時間が、考える時間や学習意欲の向上につながらないことを示している。
以上のことから、ゆとり教育は必ずしも子供に考える力をつけさせたとは言い難い。本来、学ぶことは楽しいことだ。その楽しさを伝えるため、私は、子供たちに基礎の大切さを伝えていきたい。
今日も最後まで読んでくれてありがとう。