岩石岩男物語 第1話

「懐かしいなぁ〜」
机の上に乗ったトンボのブローチを見ながら、まいは、つぶやいた。
銀色の羽根に緑色の目をしたトンボのブローチ。昔、たけおくんからバレンタインデイにもらったものだ。
これをみるたびに、まいは、言葉が喋れなかった昔のことを思い出す。
「たけおくんかぁ〜、いまごろどうしているのかなぁ〜」
まいは、トンボの目を下から覗き込みながら、微笑んだ。
緑のめのう石のような目は笑っているか、笑っていないのか、とにかく愛嬌がある。愛おしさをこめて、人差し指で羽根をちょっんと押してみた。
やじろべえのようにゆらゆらと机の上で揺れる。
もう銀色の羽根の部分は少しはがれて、少し黒味かかった部分もあるけれど、それでも、それでもトンボは当時の形を残したまま凛と構えていた。


時折、まいは自分ではどうしよもなく不安に襲われることがある。彼女はそれを「波」と呼んでいるが、波が来ると自分の体が自分ではなくなってしまう。
記憶がなくなってしまうのだ。彼女は「波」がくるのが怖かった。だから不安な時はこのトンボを眺め、トンボに語りかける。
「ねぇ〜、トンボさん、私ってどうしていつもこうなの?」
勿論、トンボは黙ったままだ。
ただ、ぐるぐると回った目を見ていると、なぜか、まいは安心する。


数時間後、誰もいなくなった部屋。
机の上にはトンボのブローチの横には、白い箱が大事そうに置かれていた。その箱にはピーチピンクのリボンがかかっていた・・
ピーチピンクの色言葉は・・・「私を探して」
窓の向こうには冬の太陽をいっぱいに浴びた雪原がキラキラと輝いている。(つづく)